H26「労働やまがた2月号」今月のひと

現代の名工
吉田木工芸
吉田 宏介さん

 吉田宏介氏(吉田木工芸・天童市)は「黒柿工芸」で2013年「現代の名工」に県内から一人選ばれました。「現代の名工」とは、厚生労働省が毎年表彰する卓越した技能者のことです。「もの」があふれる世の中で、愛情を持って大切に扱わないと本来の「もの」がもつ良さはわからないと熱く語る吉田さんにお話をお聞きしました。
【黒柿工芸について】

「黒柿工芸」について教えてください。

 私のところでは、欅、杉、桐などから木工品全般を作っていますが、特に黒柿を使用した黒柿工芸品が中心となっています。樹齢が150年くらいたった柿の老木には、心材に黒い模様が偶然現れることがあり、このような木を「黒柿」と呼びます。欅、杉、桐などの木は、木目の変化に美しさがありますが、黒柿は出現する模様の美しさに特徴があります。

栗と黒柿の香合 -木目と模様の違い-

※香合 : 茶室でたく香木を入れるための器。また、漆塗りのものや木・竹などの材料で作った香合もある。風炉の季節に使う。

黒柿は偶然の産物ということでしょうか。

  そうです。本当に不思議な現象で、同じ場所、同じような条件で育った柿の木でも一方は黒柿の模様が現れ、一方には何の模様も現れないことがあります。「柿の渋が原因だ」とも言われていますが、渋が原因なら一様に黒柿になっているはずです。原因については研究されていないため、今でも分かっていません。
 また、黒柿は日本の木で唯一黒色が出せるものです。皆さんは、黒色の木であれば黒檀を思い浮かべると思いますが、木味が違いますし、外国から輸入されています。

大変貴重なものですね。

  黒柿は、主に東北地方が産地と言われてきました。柿の木はそもそも山野に自生しないので、黒柿になる可能性がある柿の木は、屋敷や畑に栽植した屋敷木になります。このような昔柿は、今は本当に少なくなり枯渇寸前です。食用の柿の木は多くありますが、多くが老木になる前に伐採されてしまいます。このように、黒柿は貴重な材料の一つですが、村山地方には比較的残っています。
 黒柿は高級品の印象ですが、昔は欅や桐等と同様に豊富にありましたので、針箱や家具など木工品に使われていました。今、私のところでは、茶箪笥や小箪笥、茶道具、将棋の棋具、他には鑑賞用の作品を作っています。

【茶筒】
【将棋の駒箱】
黒柿の良さは何ですか。

  黒柿はその色と模様を活かして、他の木と組み合わせて使用することで、他の木の木目の美しさを際立たせ、作品に深みを与える役割を持っています。
 また黒柿は、乾燥を十分に行えば狂いが少ない材料です。狂いがないというのは作る上で非常に重要です。

黒柿はどうやって手に入れるのですか。

  私は主に村山地方の黒柿を使用しています。昔からこの地域には、黒柿を探し出すのが得意な人がいます。彼らは、農業や木材の仕事の傍ら代々続けていますが、少数ですし、皆さん高齢です。しかし、その人たちの努力で年間5、6本は入手できています。
 黒柿の情報があると私も現場に赴きます。木の表面には何の変化も無いので、支障のない幹の部分にボード(穴を開ける機械)で穴を開けておがくずを引き出して状態を確認します。黒柿でなくてがっかりすることも多いですが、たまに良い黒柿に当たると今までの苦労を一気に忘れるくらい感動します。

黒柿工芸品ができるまでを教えてください。

  黒柿であれば値段交渉の末購入し、伐採して、持ち帰ります。丸太は樹勢(ジュセイ)を弱らせるため約2年間そのままの状態で置きます。その後、製材所で5-10センチの板に製材してもらい、狂いをなくすため最低でも5-10年は倉庫の中で室内乾燥させます。そうしてようやく黒柿が使えるようになって、1週間から大きい作品だと何カ月もかけて作品を製作します。私は今、78歳ですから、今入手した木は息子が使うことになると思いますが、妻には「100歳まで現役で仕事をして使って下さい」と言われています。ちなみに、私は3代目ですが、先代が残した材料は今も残っています。

【お仕事のこと】

年間、何点の黒柿工芸品を作っていますか。

  私の場合は年間100点作ります。内訳は、大きいものが大体30点、作品として残すものが50点、あとはお茶筒などの小物です。中でも、30年間毎年出展している日本伝統工芸展の作品製作がメインになります。その他は山形・仙台・新潟・水戸など関東以北のデパートで年間4-5回ほど開催している個展に合わせて製作しています。個展は、自分の作品を販売する一番の機会でもあるで、主要な仕事の1つです。

個展はどのように行われるのですか。

  私の個展は昔からなじみのあるところで開き、妻と2人で行きます。業者が間に入る個展もありますが、私は努めて自分で行う方針です。それは、お客様の「どうしてこういう色になるの? どうしてこんな風になるの?」などの質問に直接お答えして、お客様に作り手の顔をお見せすることにより信用してもらえるからです。略歴だけで信用して購入する人はいませんから、私と妻が参加しない個展ではいい成績は上げられません。
 今は、デパートの個展が皆さんと接点を持てるので最も大事にしています。その土地のお客様の好みもわかってきますし、流派ごとに分かれた茶道具などの細かい注文にも対応することができます。

【注文のあった厨子を製作中】
【参考写真 : 厨子】
【黒柿工芸に携わるまで】

3代目ということですが、お家のお仕事を始めたのはいつごろですか。

  私が中学2年生の時、父が体調を崩して働けない状態になったので、中学卒業後、夜間高校に通いながら3代目として父の後を継ぎました。父は働けませんでしたが、言語障害はなかったので、口頭で指導を受けました。
 師匠は父ですが、実質は私の独学だと思います。今でも家にある、父が作った引き出しや本棚を唯一の手本にして技術を磨きました。それから、父の材料・道具をそのまま受け継いだことは、自分にとっては何よりの財産になりました。

【黒柿の板】
【作業に使用する道具】
黒柿工芸を始めたきっかけを教えてください。

  父が残していた材料の一つに黒柿があり、天童は将棋の駒が有名なので、その駒箱を黒柿で作ってみたのが始まりです。今までなかった黒柿の駒箱は、「珍しい、これは良い」と高い評価をいただき、自然に黒柿工芸品が増えていきました。
 意識して黒柿工芸に力を注ぎ始めたのは、やはり日本伝統工芸展への出展や個展を開催してからです。個展で各地を回ると、他では黒柿が見られないということで大変喜ばれました。そのため、自然に黒柿に重点を置くようになりました。

各地での個展開催などを通して、段々と黒柿工芸に力を注ぐようになったのですね。

  「黒柿だったら山形だろう」というぐらいの意気込みを持っていますので、各地で開催している展覧会でもその品揃えには気を配ります。
 伝統工芸等での発表や個展時の作品を通して、山形の黒柿の質の良さが認識され、信頼を築いたことが現代の名工に認めていただいたことにつながったのだと思っています。

【吉田さんの作品】
【お仕事の醍醐味】

今までを振り返って、印象に残っていることはありますか。

  ありがたい事に、今まで何度か展覧会で入選したり、賞をいただいたりしましたが、その度に皆さんから「黒柿はこういう綺麗なものなんだ」と受け入れてもらったことが非常に嬉しかった思い出です。最近では、息子も継いでくれて、仕事に夢中で取り組んできて良かったと感じています。
 また、黒柿を100%活かしきった時の感動も格別ですが、今も一つ一つの作品が出来る度に感動しています。木というのは一つ一つ顔や性質があります。ものすごく素直な木もあれば、逆らう木もあり、私の体調が悪い時だと木に負けそうになります。それでも愛情を持って最後まで作りあげるのがこの仕事の頑張りどころです。

自分の子供のように手を掛けているんですね。

  本当にそうです。これは、2ヶ月ぐらい前に作った作品で、私の作品の中でも自信作のひとつです。(写真)小さいものですが、ものすごく手を焼いた木で、まだ最終段階の漆がかけられないでいます。
 そうして苦労して作りあげた作品を、お客様に喜んで購入していただくとやりがいを感じます。丁寧に使ってもらえると作品の光沢に深みが出てきて成長します。最近も15年前に購入したお客様からお手紙をいただきました。「私の作品はこんなに皆さんから喜んでもらっているんだ」と大変嬉しく思いました。ものづくり冥利に尽きます。

【黒柿工芸のこれから】

本全国でも黒柿工芸品は作られていますか。

  黒柿が取れるところが全国的に少ないので黒柿工芸品の作り手はほとんどいません。幸い、山形からは黒柿が出るので、木工をやっている方2-3人が黒柿工芸品を山形の観光物産会館などに出していますが、全国的に伝統工芸展や展覧会、公募展に出展している方や、個展をやっている方はいないようです。
 「黒柿が必要なら、柿の木を植えればいいでしょう」と言われますが、植えて150年も先にならないと変化が現れないうえに、全てが黒柿になる保障もないとなれば、誰も投資したり育てたりしません。そのため黒柿は減少しています。

外国の黒柿は使わないのですか。

  外国と日本の黒柿では、模様も色も材質も何もかも違いますので、私は、外国の黒柿を使いたいとは思いません。各地で行われている物産展などにある黒柿のテーブルや茶箪笥、飾り棚などは、外国の黒柿です。息子の代になるとどうなるかは分かりませんが、今あるものを無駄にせず大切に使っていけば息子の代でも十分やれる分の材料はあると思います。

木工の世界を志す若い人はどのくらいいますか。

  以前私が非常勤講師として教えていた東北芸術工科大学の学生や他の大学を卒業する学生から、毎年のように「木工芸の道に入りたいから教えてください」と問い合わせがあります。
 しかし木工芸を仕事にすることは本当に大変です。すぐにお金になるような作品が作れると錯覚している人もたくさんいますが、特に黒柿の場合はすぐに手に入る材料でもなく、たとえ見つけても使えるのは10年以上も先になります。そのうえ、黒柿を蓄積する経費を考えると、家族の協力なしでは出来ないのが現状です。

吉田さんは奥様と二人三脚でされてきたんですよね。

  そうですね。黒柿の作品は全て漆で仕上げをしますが、この一番時間がかかる作業を妻が担当しています。私が一から作品を作って、漆をかける作業まで一人でやろうとすると、今の3分の1も作品は出来ません。妻はもちろん、息子や息子の嫁、みんなの協力があるからこそ、ある程度の数が出来るのです。吉田木工芸の作品は、家族みんなで作り上げたものです。

【吉田さんご夫婦】 奥様も木工品を作っており、多くの展覧会で入賞する腕前だそうです。
最後に働く方へ一言お願いします。

  私の黒柿工芸(木工芸)の仕事の経験から言わせていただきますが、真面目に木と向き合って、木の事を本当に好きになって、木を活かし切るという気持ちで向かえば、どなたでも一生の仕事になるのではないかと思います。他の仕事も同様だと思います。
 木の種類も性質も多岐に渡りますが、真から木そのものを勉強してもらえば、私の場合黒柿がそうだったように、新たな道が拓けてくると思います。

 
2014年2月1日